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TOP > BLAME! 登場人物紹介 > 乾人乾人は 2 巻で登場した不思議な人種だ。読み方は「からど」。驚異的な身体能力や転送めいた姿の消し方など、彼らの生物学的な分類や科学技術レベルについての想像を乱す要素が多々あって困る。
個人的には乾人は珪素生物の一種だと思う。霧亥が攻撃しなかったのは、探査能力が復活する前だったからだと考えれば一応、辻褄を合わせられなくもないと考えている。
霧亥と初遭遇した乾人は、種族の中でも小さな個体だった。リーダーらしき人物が一瞬にして霧亥から遠ざけるように保護した行動から、子供と思われる。
その乾人の子供は額に三つ目のマークがあった。もしかしたら本当に三つ目かもしれない。そして、他の大人たちには三つ目が無かった。何か特別な職業か地位にある個体である可能性が高い。
霧亥が生電社に入ってしまって以降、乾人はストーリーに出現しない。というわけであまり重要ではないキャラクターと思われる。要するに、正体とか設定されてないとしてもおかしくないのだ。というわけで妄想の幅は無限に。
まず移植に使えるというのがポイントだろう。乾人と人間の身体構造はかなり似ているようだ。
乾人の身体は便利に出来ているという台詞から考えるに、もしかしたら彼らは移植用臓器を作り出すための培養器とは考えられないだろうか。
ブタに人間の遺伝子を混ぜて移植用の臓器を生産する計画があったと思うが、そういう目的で作られた人種かもしれない。
随分悪趣味だが、 SF 作品では良くあることだ。未来の人間たちも、臓器が必要なわけであって、生きた人間が必要なわけではない。それを意思をもった一つの知性体として育てたあげく、解体して人間の延命に使うのだ。
この行為は合理的な理由よりも、サディスティックな愉悦を感じる極めて不快な行動だ。それにそんな事をしていれば当然いつか反乱か暴動が起きるのは目に見えている。でも何故かそういうことをする SF 内の人類は多い。
一時ニュースで騒がれた ES 細胞は、どんな細胞にもなるという。こういうものを利用して特定臓器を培養する研究を進めればいいのに、クローンを作り出して必要な時に殺してオリジナルが生き延びる計画を実行するのは実際には有り得ないだろう。
しかし考えてみると、本当にそうだろうか(朝日新聞風に)。どんな事故や病気でも、自分や愛する者が助かるのなら、そのクローンを殺しても案外人間は平気かもしれない。目の前で今解体されたウシやブタの肉は中々食欲がわかないだろうが、スーパーで売っていれば美味しそうに見える。「処理」がブラックボックス化されれば、他の生命を奪うことはそれほど心理的な負担ではないかもしれない。
勿論殺すのが人間の形をしていれば生理的な嫌悪感も抱くだろうが、これがブタならたいした心理的障害はないだろう。ブタの死によって生き延びられるようになれば、幾らでもブタを殺せと自分も考える。豚を殺すのは、今もやっていることだし。
とまあ以上、乾人は過去の文明が作り出した奴隷人種が逃げ出した生き残りという可能性。なんとまあ可哀想な乾人であろうか。
決め付けたタイトルだが、個人的にはその可能性が高いと思っている。乾人の見た目が肉の感じがしない。
乾人という呼び方から考えるに、乾いているという特徴があるのだ。多分、内臓器官が人間のようにヌチャヌチャとした感じではなくて、機械のふたを開けたときに近い感触だったのでそういった呼び名がついたのではないだろうか。
BLAME! で霧亥が探索活動をしている年代は不明だ。人間が別種に分かれそうになるのにどれほどの時間がかかるものだろうか。
あるいはネットスフィアとの接続が切れて数万年経っている可能性だってある。それに生命操作が極普通の事として受け入れられている時代である。人間の変化が今よりも相当に早く進んでいでもおかしくはない。
珪素生物は、ある種の反体制派から生まれた種族であると考えてもいいと思う。しかし、最初は教義を持った宗教団体だったものが、 BLAME! 時点ではその傾向はほとんど失われている。世俗化とでも言えばいいのか。
時間が経つにつれ珪素生物内でも色々な勢力に分かれていったと考えるは自然だろう。大体の有名な宗教は、内部に色々な派閥がある。一人の教祖と共通の教典から、それぞれ異なった面白い解釈を大量に作り出す人間の想像力に乾杯。
珪素生物内にだって、いつまでも カオスカオス 言ってるだけが能じゃないと思う人々もでてきただろう。
セーフガードや統治局、その他人間たちが存在しない領域もたくさんあったはずだ。アホみたいに都市は広がっているのだし。一々争わずとも、平和に暮らしていけると知った一部の珪素生物が、種族根本の教義を捨て、細々と暮らし始めたところを想像すると、何だかほのぼのした気分になる。
勝手なイメージだが、乾人には何かネイティブ・アメリカンのような雰囲気を感じる。高度な文明を捨て、素朴な暮らしや精神的豊かさを求める珪素生物の亜種であるとしたら、彼らは人間という種族の遠い子孫である。人類の無限の可能性を感じないだろうか。
ナヴィって乾人に雰囲気的になんか似てません?